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前作「A」を完成させた直後、「オウムについての自らの主題は『A』で完結した。続編はありえない」と森達也は断言していた。
97年の山形国際ドキュメンタリー映画際をプレミアに、99年のベルリン映画祭では3回の上映全てにソールドアウトを記録した「A」は、更に釜山、香港、バンクーバーなどの各映画祭から正式招待されるなど、内外の映画祭で高い評価を獲得した。また興行においては、東京、大阪、名古屋、札幌、など主要都市を中心に全国規模で劇場公開を実現させ、ドキュメンタリーとしては異例の観客動員を果たしている。
「A」発表後のこの期間、森達也は、5年がかりのドキュメンタリー映画「下山事件」の撮影に取り組み、テレビドキュメンタリー「放送禁止歌」、「職業欄はエスパー」、「1999年のよだかの星」等の演出、さらには、長編ルポルタージュ「『A』撮影日誌」、ベストセラーとなった「放送禁止歌」、超能力者の日常を描いた「スプーン」など三冊の書籍も刊行し、分野を超えて精力的な活動を続けていた。
1999年9月。3年余りの長い断絶を経て、ふたたびカメラを手に、森達也は退去直前の足立区オウム施設を訪れた。
「A」がクランクアップした1996年4月以降、地域住民たちのオウムへの排斥運動が急速に激化し、住民票の受理を拒絶する行政も相次ぎ、施設を追われた信者たちの漂流が始まっていた。またこの頃、長野の木曽福島町にあった修行施設「蓮華」では、いまだに信者への監禁・暴行が日常的に行われているとして、強制捜査によって幹部信者が逮捕された。また結局は狂言であることが明らかになったが、サリン事件遺族の女子大生がオウムに誘拐されたと大騒ぎになった事件もあり、一度は破棄された破防法より更に悪質といわれる団体規制法(オウム新法)が、圧倒的な世論を背景に成立間近となっていた。
「…3年前には、ここまで日本社会が急速に劣悪化するとは思わなかった」
再びカメラを手にした理由を訊ねられて、森は言葉少なくそう語った。しかし半ば不本意ながら始まった撮影は、信者と住民との軋轢がいちばん激しいと喧伝されていた地を訪ねたことで不意に加速する。マスメディアは決して伝えようとしなかったが、この地ではオウム排斥運動にかかわる住民たちと信者との間に、不思議なコミュニケーションが築かれつつあったのだ。
教団が巻き起こした凶悪な犯罪を深く憎みながらも、信者たちを人間として受け入れようとする意識が住民の中に芽生えていた。こうして森のキャメラは各地を巡りながら、断絶されたコミュニケーションとそれに対比する交流や葛藤を克明に記録した。それまでイメージでしか捉えていなかったオウムの信者たちに実際に接し、自分の子や孫と見比べてしまう住民の戸惑いや煩悶。そして「出家」の名のもとに社会と断絶したはずの信者たちも、住民たちの情に触れることで、再び社会と向き合うことを迫られていた。
「A」において、オウムを通じて日本社会の歪んだ断層を暴いた森達也は、前作をはるかに上回る深度で切り込みながら、信者たちの内側にある矛盾、さらには社会の側に生まれはじめた「受容への萌芽」を「A2」によって鮮やかに描きだした。
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